前森の記憶 -歓喜の夜- (2021.7)

前森林道から離脱。沢筋をくだり、遡上予定の内唐府沢の左俣支流へと入渓した[地理院地図]。時刻は10時20分。初日の予定はこのまま左俣支流を1.5km程遡上、そのあたりで蚊帳を張って一夜を明かす予定だ。沢に入ると幸運にも虫たちも居なくなっていた。今宵は焚き火でバーベキューだ。天気もいい。虫もいない。足を入れると沢は涼しい。夜は焚き火に焼肉にビール。良いことずくめとあらば心が踊る。胃もはやる。気分は爽快。嬉しくて雄叫びがでる。林道駐車地点では 恐怖するほどの虫たちに迎えられ、今日明日がどうなるのかと暗澹たる気持ちになり帰りたくもなった程だが、現金なものだ。

 

 

 

 

今回の山行は、西側から沢伝いに前森の南鞍部に上がり、南尾根を辿って前森のピークを踏んでの周回だ。初日と翌日の午前は沢なのでいいが、その後は夏の真っ盛りに低山の藪山だ。距離こそ大したこと無いとはいえ、酷暑と藪、過酷な行程になるであろうことは想像に難くない。なので、たっぷり余裕を持たして計画を組んでいた。しかし、入渓地点からすぐに遡上して幕営の準備するにはまだ早かった。お昼までまだ1時間以上。幕営予定地はわずか1.5km先。時間に余裕はある。われわれは重いものをデポし、内唐府沢本流の様子を見に行くべく、本流二股地点[地理院地図]まで降りることにした。様子を見るといえば聞こえはよいが、ただ単に時間があったので遊びたかっただけだ。この安易な選択が翌日に響くことになるのだが、この時はもちろん知る由もない。

 

 

 

右股が内唐府沢本流。左股が遡上予定の左股支流。この左俣を降りてきて右股本流の様子を見に来た。

 

 

右股の内唐府沢本流を少し遡上してみたが河原が続くだけだった。この先はなかなかの渓谷となり、歴戦の沢ヤさんも十分に楽しめる沢だとは聞いているがその面影は無かった。つまらなくなった我々はもっちゃり生えていたウスヒラタケを収穫するぐらいにして、ザックをデポした地点へと戻る。お昼になっていた。腹ごしらえをしてから あらためて支流左俣の遡上を開始した。

 

 

 

 

ほんの数百mばかり進むと 二股が現れた[地理院地図]。地図を確認すると左股が我々の進むべき沢のようだ。のようなのだが……この先大丈夫かと思えるほどに左俣は細かった。既にこんな沢が細い。予定地点まで遡上してしまったら沢が細すぎて ほどよい幕営地は見つからないのではないか。時刻は13時。予定地点より1kmばかり下流だったが、明日の行程も余裕たっぷりだ。沢泊に慣れているわけでもないので早めに準備にかかれるのは安心だ。早くビールも飲みたかった。二股の中洲はいい感じで平たかった。タープも蚊帳も貼りやすそうだ。ここでいいかという気になってきた。ここで幕営することにしよう。この安易な選択が翌日に響くことになるのだが、この時はもちろん知る由もない。

 

 

幕営地。二股地点のところにある左股。いい感じの深さなので、周辺の野生動物や河童が水浴びに使用していた。

 

 

時間もあるので、のったりのったり石をどけ、草っぱを敷いたりして整地をする。タープをまず張った。蚊帳については調達や使い方も含めて相棒に任せていた。沢が人生といっても過言ではない釣り師が身近にいるので よくアドバイスをもらっておいてねとお願いしていた。お願いをすると、相棒はマリオのような顔をして、笑顔で胸を叩いて任せろ!って感じでいつも快活に応じてくれる。でもわたしはその相棒をいつもジト目で見つめ返す。相棒が笑顔請け合いするときは信じてはいけないのだ。とはいえ、知らないことは知らないので、お任せしたまま蚊帳も張り終わった。いい感じに見えたけど少し不安だった。これじゃ下から入ってくるんじゃないかと。蚊帳で一晩過ごすにあたりほんとにアドバイスもらってきたのだろうかと。なんか不安だ。この一抹の不安が地獄の夜への前触れになるのだが、この時はもちろん知る由もない。

 

 

今宵の住処。蚊の襲撃さえなければ楽しい夜になるに違いない。

 

丸太の上で直接焼く焼肉は豪快で最高に美味かった。

 

 

 

 

その晩に使う薪を集め終わると、お風呂に入ってすっきりした。そしてすぐに焚き火が始まった。こんな場所まで重いものを担いできたあとに、幕営でも汗を流し、お風呂に入ったあとのビールが美味しくないわけはない。もう 卒倒するほどうまい。バーベーキューも丸太の上で直接焼く。これまた炭の味がほどよくうまい。焼ける匂いだけで腹が膨れるほどだった。幸せすぎたのか、気がつくと森に住まうという 微笑み大仏 が我々の宴へ遊びに訪れていた。

 

 

微笑み大仏

 

 

大食漢でもなく、酒もさほど飲まない我々二人は、このロケーションとビールと焚き火と焼肉の匂いで、食べ残しも少なくないまま あっという間に酒も廻り、腹が膨れた。残りは朝食にしようということでお開きになった。蚊帳に入るとシュラフカバーを寝袋にして寝る準備に取り掛かる。そしてその後、地獄のフェスティバルが始まるのだが、この時はもちろん知る由もなかった。

 

 

 


 

 

※ 前森山行記はたぶんあと2回か3回で終わります。ただいつになるかは分かりません。よほど深い思い出になったのか、1年経ってもまざまざとそのシーンを思い出せるので、書くのに支障はありません。が、なぜか書く気になるまでに月日を要するようです。続きはよ!っていくつかお便りもらっているのですが気長にお待ち下さいm(_ _)m

 

 

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