角平の記憶。(2018.1)
2018年1月中旬。定義へと車を走らせた。
定義の奥には大好きな後白髪山がある。かつて、山を始めてから僅か数ヶ月の4月中旬。残雪期が難しい時期だというのも知らずに向かった山だ。怖い思いもし、道中心折れそうにもなった。読図も、GPSの使い方もろくに分かってない頃だったので、無事戻れたのはただの幸運だろう。そんな思い出深い山だ。わたしはこの山が好きだ。たおやかなイメージの強い船形連峰の中でもさらにたおやかな形をしている後白髪山。なんだかとってもいい形をしている。
積雪期、残雪期になると、後白髪山頂から南に位置する角平にしばしば足を向ける。読み方も分からないので取り敢えず ”かくたいら” と呼んでいる。地名なのかどうかも分からないけれど、1077m三角点名が角平となっている。この角平の手前あたりから山頂方向に全長2km弱にはなるのだろうか。冬型の雪と風によって雪の回廊と呼ばれる雪堤が築かれる。立派な雪庇ができそうには見えない標高だし、ぶっとい尾根なのだが、矢盡沢から吹き上げる強風とともに運ばれる雪によって作られるらしい。高さ3mにも及ぶ堤がこんな場所に現れ、5月半ばまで残るのだ。冬から春にかけて、時期を変えて行ってみては、ほげー とこの雪堤を眺め、この堤の上を歩いたり、その周囲をうろついたりしている。とはいえ、3月ぐらいまでは、呑気に、ほげー と出来る日はそうそうない。雪堤が作られるような場所ということは強風地帯だからだ。晴れていても雪煙であたりは真っ白ということも少なくない。そんな場所だ。然るに、風のある日に行ったほうが楽しい。雪が固まる前の1月下旬から2月上旬の晴れた日ならなお楽しかろう。
冒頭に戻る。条件の合うその日、ひとり角平に向かった。たっぷり過ぎる新雪だった。きつかかった。すごくきつかった。もう途中で、雪の馬鹿ー! と捨て台詞吐いて逃げ出したくなったりもした。ゴーグルは必須。目出し帽はウールじゃないと、凍りついて自分の顔のデスマスクが出来上がる。手袋を外してワカンの紐を直そうものなら手がしばらく熱く真っ赤になる。おまけに、のっけの林道から深いラッセルを強いられた。辛い。帰りたい。来たことを後悔したが、何も考えないようにして ただひたすらに歩を進めた。
4時間以上ラッセルを続け、角平まであと2kmというところまで辿り着くと、後ろから来た単独のスキーヤーのおんちゃんに追いつかれた。「ラッセル助かりました、ありがとう。どこまで行くの?」 角平と答えた。通じない。とってもいい場所だと力説する。頼む、おんちゃん、おらにトレースを! そう願いながら いい場所だと力説する。スキーヤーのおっちゃんは地図を眺め思案している。「こりゃ厳しいわ。もう少し先に行ってから滑りを楽しんで戻りますね。」 必死の力説は通じなかった。さらば まぼろしのおっちゃんトレース。ちーん。再び涙目になりながらラッセルを続ける。途中、さすがにこりゃもうあかんわとなって、いくつか要らないものをデポした。再び歩き出す。ずっぽずっぽ。
頭上は真っ青なスカイブルー。ご機嫌だ。上を向いて歩こう。ずっぽずっぽ。時折風が鳴ると眼前はスノーホワイト。顔痛い。鼻水凍る。下を向いて歩こう。ずっぽずっぽ。2時間はさらに歩いただろうか。ようやく辿り着く。そこには、矢盡沢を駆け上がってきた風が唸りを上げて吹き荒れていた。その風が せっせ せっせと雪を運び、さらさら さらさらと雪堤を育てていた。ひと冬をかけて この地が築く、自然が織りなす大事業。大きくなれよ。その上を少しだけ歩かせてもらい、満足した気分で下山した。
( ゚ ρ ゚)ホゲー