夜中のラッセルの記憶(2017.3)
3月中旬、夜中の2時。船形山山頂から数百m下にある升沢避難小屋の中にテントを張りその夜を明かそうとしていた。隣には同行の友がイビキをかいている。その日、三光の宮からは遅々として進まないひどいラッセルだった。早朝に予定していた山頂はやめて翌日は下山だけにしましょうとあっさり決まった。16時、友は酒を飲み、いびきをかいてすぐ寝入った。19時、寒くなったのかむくりと起きてくる。わたしの用意した鍋をたらふく食って、わたしの持ってきたテントに潜り込みまた寝始めた。平和な山で、平和な小屋で、平和な日常。1つのやっかいな問題を除いて。この友である。ぐっすり寝ているだけなら何も問題ないが、ぐっすりすぎるのが問題だった。まぁつまりはとんでもないイビキだ。ぐがーぐごーぐごごごご。のちに周囲の人からも聞くことになる彼のいびき。山小屋が鳴動すると噂されるほどの圧巻のイビキの持ち主だったのだ。
時は冒頭に戻る。夜中の2時、イビキで起こされたが最後、再び寝入ることは不可能だった。このまま眠れずに朝を迎え、下山するなどどうあっても耐えられなかった。しばらく盛大ないびきに悩まされたあげくわたしは決意した。目が覚めたが僥倖、一人で行くしか無い。山頂にだ。いやなに、寝れずに数時間シュラフにもぐっているのが暇だっただけだが。いざ決意を固めると行動は早かった。わざとらしく音を大きく立てながら準備を始めた。わたしの眠りをぶちこわしたこの男に一矢を報いたかったのだ。ガチャガチャとワカンをセットし、ガンガンと装着を確かめる。ワカンについている雪をカンカン、カンカンとストックで叩く。しかし、どれだけわざとらしく音を出そうが、この男、まったく起きない。グガーグガーグゴゴゴゴゴ。そのまま寒さで死に絶え給え。神の御加護があらんことを。アーメン。彼への祝福の呪文を唱え、書き置きを残し、山小屋の外に出た。
夜にまた随分降った。昨晩というか、数時間前に一人で諦めきれずに偵察に行ったトレースはすっかり消え失せていた。ヘッデンで足元を照らし、もくもくとラッセルを続ける。雪も風もやんだ。星さえ瞬いている。新雪に深く足を入れては抜く。半歩半歩でゆっくりと。そうして尾根筋を黙々と登る。次第に辛さで麻痺してきたのか楽しくなってきた。2時間は過ぎただろうか。ふと振り返ると住処の仙台の街の明かりが後方に広がっていた。
急斜面がようやく終わる。ここから先は風で新雪が飛ばされているのだろう。足元が固くなった。亀のようだった歩みが少し速くなる。薄闇とガスの中、山頂は相変わらず見えないが、とにかく上へ上へと歩を進める。次第に空は白み、東から追いかけるようにやってきた朝陽とともに山頂へ辿り着いた。10分ほどで山頂をあとにし小屋へ戻るために山を降りはじめる。その時の光景は生涯忘れないだろう。とにかく美しかった。この世にこんな美しい世界が身近にあったのかと、何度も何度も立ち止まりシャッターを切った。
わたしはこの山行により、今後の山人生で守るべき1つの教訓を得ることになった。非常パックには必ず耳栓を入れておこう。そう誓ったのだった。