タラの芽の記憶。

春といえば新緑。春といえば山菜だ。毎年、3月も末になると庄内にまで出張り、高舘山のミスミソウを愛でてから、翌週には七ツ森と笹倉山のイワウチワにほっこりする。その翌週あたりからは 仲間から入る近所のタラの芽の報告を受けつつ、頃合いを探り、大和町の山林にタラの芽を採りに行く。それがこの時期のいつも変わらぬ恒例行事になっている。毎年変わらないからこそ大事にしたい。風靡な御仁も詩にされておられた。変わらぬ日常、変わらぬ風景、変わらぬ風物。そこにこそ幸せはあるのだと。そんな意味合いのことを素朴に表した素敵な詩だ。

 

厳しい冬を超え、芽吹きを迎えた庄内に赴き 春を愛で、地元の里山で春の花に囲まれ、そして山菜採りに精を出す。毎年変わらぬ季節の移ろい。毎年変わらぬ週末の過ごし方。今年もこの季節になったんだな。小さくもそこはかとない幸せを我ながらも感じる。山仲間から たまにはどこか違うところへ行こうと誘われても わたしは頑なに拒否する。氏も書いておられたではないか。変わらぬことこそよいのだと。その詩を引き合いにだし、知らぬ山への遠出はいつも断る。偉大な詩である。

 

 

話がそれた。春といえば山菜だ。山菜といえばタラの芽だ。山菜の王様といえば自分にとってはやはりタラの芽だ。食ってよし、探してよし、もいでよしだ。あのムギュッと掴んで、ぐいっと捻ってもいだ時の、ボキッって音と感触がたまらない。とはいえタラの芽の競争率は高い。道路や車で入れる林道脇に見えるタラの芽は 採り頃になると争奪戦だ。土曜の朝にいったって大概ない。日曜なんてもってのほかだ。タラの芽の収穫は戦いなのである。かくいうわれわれも昨年新たに目をつけた場所にまず赴いたのだがすべてもがれた後だった。仕方がないのでいつもの場所に向かうことにする。数は多くはないがある程度は取れるだろう。通りすがりの道路沿いにもタラの芽が出ていたが、手がとどきようもない背の高いものを除けば、こちらも既にもがれているものばかりだった。タラの芽はみんな好きなのだ。

 

 

取り残しはないかと 念のために近づいて確認しにいってみると、大きさはそうでもないものの何本か取れる。背の高いタラには上物(じょうもの)がついてるがとても取れそうにない。そこそこにしていつもの場所へ向かおうとすると。「いや、取れる!」 と背丈の倍はゆうにあるタラの木を見上げ、仲間の男がいう。「登れないことは無い。しかし問題がある。おニューの長靴に穴を開けたくない。」 と続けざまに言い、安っぽそうだが新しくはある長靴を どうだとばかりにずいっと足を出し見せてくる。

 

ちょっと意味が分からない。タラの芽ってよじ登って取るものではない認識だったし、長靴に穴があくのもよくわからない。そのおニューの長靴はいくらだったかともうひとりの仲間が問うと1500円だという。安いな おい。穴があいたら500円ずつカンパしようと話がまとまると男はタラの木に取り付く。ほんとによじ登り始めた。え。タラの木って登れるものだったのか。

 

 

太いタラの木ではあったが所詮はタラの木である。人が登ればグラグラ揺れる。いつ幹が折れてもおかしくない。あともう少しで手が届く!ってところでメトロノームのように何度も揺れた。その度に地上の二人からは歓声があがり 盛り上がる。タラの芽取りで道路のそばで異様に盛り上がるわれら3人。やがて 上物を遂にもぎとった彼が降りてくると我々は満足しきっていた。長靴も無事だった。タラの木って登れるんだ・・・。

 

タラの木によじ登る仲間。ウッキー。ムッキー。

 

 

その後、いつものタラの木の林に向かうとそこそこの収穫にありついた。コシアブラも少しだけ取って帰ろうかとなったが、新しいタラの狩り場を探りたいとわたしから提案した。毎年少しづつでいいから新たな狩り場を増やしていくのが山菜取りを続けていくコツなのである。そのまま林の中を 行ったこと無い方向に向けて進むこととなった。20分も林の中に進むとなんとあったのである。広大なタラの木の林が。あるわ あるわ そこら中にタラがあったのである。

 

7,80本のタラの芽と山葡萄の新芽。山ぶどうの芽は天ぷらにすると酸味が少しあって美味い。

 

自分がみつけた山菜スポットを畑と呼ぶのはあまり好きではないのだが、まあこれは畑ということになるのだろう。そういえば、この付近の山に精通し、いくつもの山菜の畑を各地に持ち、秘密の場所だといいながらも記事にし、秘密の場所とその手がかりをいつもブログで出してくれている剛毅なあの方のタラ畑。ひょっとしてここではないのだろうか。絶対そうだよ!いや違うかもしれない。でも写真似てる!なんてはしゃぎながら 眼前に広がるタラの芽を取って取って取りまくった。かつてこれほど取ったことはないのではないかと言うほどに。

 

 

 

升沢の森。午前はぽつぽつと雨も落ちたが、午後にはすっかり青空が広がった。

 

大満足したわれわれは、お昼を旗坂キャンプ場で取るとコゴミを集めながら、まさに芽を吹き出したブナの新緑に心を弾ませた。升沢の森にも変わらぬ春がやってきたんだなと、変わらぬことの幸せを心の底から感じたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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