草木と戯れる
「ミズナラはね、葉柄がほとんど見えないぐらい短くて、コナラとそこが大きく違うから見分けられる。それからブナとイヌブナね。イヌブナは葉っぱの縁(鋸葉)が丸っこいでしょ。あんまりこういう葉っぱって無いのよね。」
「イヌブナはさくらんぼのような実を付けるんだけど、めったに見ることができないのよ。私もしょっちゅう探すんだけどね。一度見たきりなんだ。」
「低い山にはコナラ、高い山にはミズナラ。このあたりだと七ツ森に行けば、コナラの育つ所、ミズナラが育つところ。その境いを見ることができるのよ。」
「ミズナラが育つところにはコシアブラを見るでしょ?コナラの育つところにはコシアブラじゃなくてタカノツメ。幹の感じや葉っぱはそっくり。新芽の出方も、黄葉の色もそっくり。新芽はコシアブラのようにも食べられる。でもほら、この三枚葉が特徴。これはタカノツメ。こっちはコシアブラね。葉っぱの数で見分けるといいのよ。」
「ほら、そこにショウジョウバカマ。ショウジョウバカマって株のように群生して育ってるのをよく見るでしょ。どんな増え方するか分かる? これこれこうなのよ。ね、びっくりでしょ。」
「そこほら、イワウチワの葉がいっぱい。ブナはここにいくつかあるだけだけど、やっぱりここはブナが育つ気候なんだね。だからイワウチワもいるんだね。」
「たまたまブナがここにあるんじゃなくてそういう地形なの。育っている植物から、そこの地形や特徴を教えられるってこともたくさんあるのよ。」
森を通してお付き合いがあり、還暦もとうに過ぎ、体力の無さを嘆いている女性の方であるが、今もって元気ハツラツだ。その方を若畑のブナ林にお連れした時の話だ。
大和町若畑のとある森。標高的にはブナが育つ環境ではない。なんでも数十年前からここの存在を聞き知っていて、ずっと訪れたかったんだそうだ。ブナの林が分布しうる標高ではないため、学術的にも興味深い地らしく、かつて大学の先生方の調査でも記録されることになったんだとか。
歩いたって大して時間のかからない場所である。目的地までいくだけならすぐ着いてしまう。行くだけなら、「あ、ほんとだ、ブナだね。」 これで終わってしまうぐらいあっけないものである。
その場所、私は気に入っているんだけどもさ。お連れしても、「え、こんなもの?」 と、がっかりされるのではないかと いくばくかの不安 はあったんだ。
車を駐めて一緒に歩き始めた。すると、私には雑木、雑草としか思えないものなのだが、これはねあれはねと、話しかけてくるんだ。草木や花の同定だけなら聞いたって面白くないものだが、いろんな話がついてくると違う。その草木の育ち方、特徴、あれやこれや。また、かつてこれこれを探しにあちこち駆けずり回り、遂に蔵王でみつけたときに飛び跳ねて喜んだとかいう幸せ話。とかとか。ご自身にまつわるお話もついて来る。
この方、草木についてたいそうお詳しい。山の花については好きな人は多い。花の同定に長けている人も多い。その花を楽しみに山登りしている人だっていっぱいいる。だけど、その草花に目を向けるのは花期になりがちだ。しかしこの方、春も夏も秋も冬も草木に目を向ける。若葉も花も、秋の色づきに落葉も、実も葉も茎も幹も、育ち方も。年中草木に目を向け愛でている。草木の葉っぱ1つ1つも愛でている。若い頃からそんな風に山や森を楽しんできたお方だ。
どこそこの山だ、沢だ、雪だ、バリエーションだ。そんなことに注力してあくせく山をしていると、こういう楽しみ方は置いていかれてしまうものだ。若畑のブナ林に向かう道中。こんな調子でお話しながら向かったのだが、なんとも楽しい。一緒になって足元や眼前の草木に目を向けてみた。深山の極相林となるブナ帯よりも、里山のほうが生態系は豊かなんですよね。こんな風に周りの草木に触れながら歩く。いつもはただ通り過ぎるだけの場所。しがない里山での楽しい楽しい森歩き。
いっぺんに沢山は覚えられないから今日はコナラとミズナラ、ブナとイヌブナの違いだけ覚えてみよう。その境界。そこを境にコシアブラとタカノツメも息を合わせるように棲み分けている。そこから、地形の違い、気候の違いを思い描く。なんでここにはコナラなんだろうとか。そんなことをあらためて思いながら一緒に歩く。
楽しいことだ。頑張る山登りも楽しいものだが、こんな山遊びも実に良い。
そんなこんなしながら彼の地へ向かう。
このへんだろうと、私が目を向けると、樹木越しに、あのブナの姿が目に入る。
「あれですよ、お目当てのブナ。ほらあそこです。」
彼女はハッとそこに目を向ける。
「!!!」
驚きと喜びが一緒になったような表情。
目もそことなしか潤んでいるように見える。
「・・・でも、ちょっとまってね! 少し取っておいて、まず周りからね。
ほらこの木もすごいね。立派だね。ほらここにも。」
何かを押し留めているかのような表情で、
でも、
口元、目元から嬉しさが溢れている。
私のちっぽけな不安は、まったくもって杞憂だった。
そんな表情で、周りの草木にも目を向けつつ、
そして、ゆっくりと、一歩一歩、
噛みしめるように近づいていく。
「やっと会えた」
愛おしそうに かのブナに抱きつくと、
小さな声でそう言った。