麗しき幻の沼。

2023年4月。寡雪から開けて春。ぽかぽか日和が続いた。桜の開花も 全国的に異例に早く、例年より半月近くも早く咲いているようだ。仙台の街の桜も4月を待たずに満開となった。春たけなわだ。

 

 

 

 

この時期のお決まりになっている福島県の花見山を訪れた。東北の吉野山なんていわれることもあるようだ。とにかく人が多い。車で向かえば渋滞と駐車場の心配が尽きない。故に桜がピークを迎える一週前に来ることが多かったのだが、数シーズン前、へんちくりんな周回ルートを見出した。それ以来、大混雑の渋滞の心配も、駐車場確保のための早出の苦労もなく、人にもほとんど会わずに花見山を楽しんでいる。尾根つなぎの藪歩きなのだが、気持ちのいい尾根が多い。今年は、遠出嫌いの山仲間のAさんを連れ出すことに成功したので、さらにへんちくりんな周回ルートに磨きがかかった。来年はどうやって周ろうかと周囲の尾根を眺めながら今年の花見山を楽しんだ。ともあれ、桜を愛でたあとは地元の山で山菜だ。

 

 

 

 

花見山、例年より2週間近く早く満開を迎えたためかツアー客も来ていないようだった。

 

 

 

 

週末の度に 大和町方面にいつもの3人で向かった。道中、水田地帯を縦断する根白石の一本道。前方に、泉ヶ岳と蘭山(あららぎやま)が見える。その足元にはもふもふの新緑。週を追うごとに上へ上へと上がっていく。その変化をみながら、先週はああだったこうだった、来週はあのへんまで新緑があがっていそうだ、そろそろタラの芽でてるはずだけどなぁ、来週はあそこでウドかなぁ、なんて車中で話すのがまた春の楽みだ。

 

 

我々の山菜採りも年季が入ってきたようで、どんぴしゃのタイミングでお宝にありつけるようになった。里のコシアブラ、シドケから始まり、翌週にはタラの芽。並行するように升沢のコゴミを確認すると、近くの沢でウドを取る。その翌週あたりには、旗坂からクレソン、タラの芽、コシアブラをもぎつつ、氾濫原に向かう。ニリンソウに囲まれながらの天ぷらだ。その翌週か翌々週に船形山麓の奥地でワサビ菜を取れば我々の春の山菜採りはフィナーレだ。

 

 

今日は里の沢にウドを取りに行く日だ。まだ早いかなとは思ったが、目当ての場所につくとしっかりとウドは出ていた。来年のためにも、取りすぎない程度に土にまみれながらウドを収穫。見上げるとAさんが土の壁でボルダリングを始めていた。発見はしていたが、わたしには到底取ることができないウドがその壁の上の方にあった。不安定な状態にもかかわらず片手でナイフを取り出し、そのままウドを根っこから切っては下にぶん投げている。わたしとBさんは到底真似できないその様を、下から歓声をあげながら応援。落ちてきたウドを拾った。

 

沢の土壁でウドダリングを楽しむAさん。

 

コシアブラとワサビ菜にもそこそこありつくことができた。その日はまだ時間はあったので、いつか二人を連れて行こうと思っていたわたしの取っておきの場所へと向かうことにした。

 

 

 

 

升沢にほど近く、直径十数メートル、一見すると水はない巨石が転がるだけの涸れ沼だ。石の隙間から覗くと うんと下に水面がかろうじて見える。窪地となった場所で その周囲は藪に囲まれている。大きな石がゴロゴロと転がり、そこだけまんまるく草木がない。一風変わった場所だ。上流部には風穴もあって ここは夏でもえらく涼しい。たまに訪れては、沼の真ん中の石の上で涼みながらコーヒーを啜って過ごす。お気に入りの場所だ。

 

昨年、写真の先生をお連れしたときに幻沼(げんしょう)と名付けられた。上流側にあるアスナロの森は、地表部が広範囲に大きな石で成っており、踏み抜けば脱出不可能だろうと思われる穴があちらこちらにある。歩くにはかなり難儀するが、いかにも太古の森といった風情があるので、いつも苦労しながらもそこを通って戻っている。

 

 

藪の窪地にぽっかり浮かぶ大きな石が転がった沼

 

 

 

 

ちょっと変わった沼なのだが、気に入ってもらえるだろうと仲間を連れて行ったのだ。この時期には来たことがなかったので わたしも楽しみにしていた。春の幻沼の周囲には、残雪が残っていて、いつもとは違っていた。普段は 藪をかき分け、最後は沼に辿り着くのだが、残雪のお陰で快適に沼へと近づいていけた。そして、沼を前にしたときにわたしは驚いた。雪解け水で、いつもは石だけの沼に水がひたっていたのだ。ひたひたと。水がある分だけ 中心部に辿り着くにはちょっと苦労した。

 

 

 

 

石の上に3人で腰を下ろすとお昼にすることした。この沼を見つけた経緯や、風穴のおかげで夏でもとっても涼しいこと、よくここでコーヒーを飲みながら昼寝していた、等々、藪の中にぽっかりと浮かぶこの風靡な沼について仲間に説明した。いつか連れてこようと思ってたんだ。いい場所でしょう?と。わたしが大事にしている麗しき沼なのだ。大事な場所だ。しかし、話をろくに聞かないAさん。透き通った湖面をを湛える麗しき沼を前にして、落ち着かずもぞもぞしている。何やら繰り返して言っている。

 

 

程なくすると、我慢しきれなくなったAさん、そばに女子がいるにも関わらず、着ている衣服をばりばりと脱ぎ始めた。瞬く間に生まれてきたままの姿になっていた。そのまま沼に飛び込むと いい湯だな♪あははん♫  とばかりにはしゃいでいる。ウッキームッキー

 

 

 

あはーん うふーん

 

 

 

わたしの麗しき沼。風靡な場所。静かに時を過ごすための大切な沼。写真の先生に、幻の沼、幻沼と名付けられた沼。静かにこの沼をともに楽しもうとを山仲間を連れてきたのだが、そこに広がったシーンは破廉池だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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