鈴沼の記憶。(2021.5)

鈴沼。船形山山頂から東北東に2kmばかりのところに佇むこじんまりとした沼である[地理院地図]。水面から浮き出た岩のようにみえる小島がいくつかある。秋には、その小島に健気に育つナナカマドが水面上で麗しく紅葉する。冬には林道が雪で覆われ、行き着くことは困難となるため、もっぱら春から秋にかけて訪れる。5月中旬を過ぎると小荒沢林道の雪も溶けて通行ができるようになる。

名物の水面に浮かぶ紅葉。この時期になるとやってくるカメラマンも多い。

春、沼の周囲には無垢の自然が数多く残る。

春の山菜祭りもここで締めくくるのが恒例になっている。一番乗り目指して、時には道の整備もしながらいくのだけど、今年はなんだかんだで2週ぐらい出遅れてしまった。天気はたまに小雨があったものの大したことはなかった。風もなく、寒くもなく、小鳥たちがあちこちで楽しげに春を謳う。来てよかったと思える心地ちのいい一日だった。お昼には一瞬だけ青空と日差しが出て喜ぶ。こういう日のほんのちょっとだけでも見える青空はなんだかとても心が弾む。

 

 

鈴沼の周辺には、知る限りで3本のシナノキの大木がある。三本とも立派なモノノケの木だ。一本は鈴沼の水源の上流。もう一本は大滝キャンプ場までの道路のそば。最後の一本は鈴沼の近くの森の中。こいつがおそらく一番でかい。胴回りは一回りちょいぐらい大きい。数年前に偶然見つけ、写真の先生に聞いてみたところ知っておられた。さすがである。今日も寄ってみたんである。

 

鈴沼のシナノキ。老木はときとして、人に思考の”時”を授けてくれる。(どうやってよじ登るか考えているだけである)

 

ときおり小雨が降る静かな森の中。100年、200年の時を刻む老木を前にすれば、人はときに哲学者になれるのだろう。老木のシナを前に思考にふける男があった。あとで写真を見て、「俺、テツガクシャだ」なんてほざいていたが、なんてことはなく、去年どうやって登ったかを思い出そうとしていただけであった。その後、木の脇にある小さな穴にケツをツッコミ はしゃいでいた。哲学者どころか、とんだ「ケツガクシャ」だった。

 

おけつを横穴につっこみはしゃぐ テツガク、いやケツガクシャA。わたしのおけつも入るとは思うが、シタッパラが挟まって小宇宙に飲み込まれたまま救助要請しなければならないリスクがあったので見送った。

 

シナの木の大木は、幹からの最初の枝分かれ部分は地上数m程度になることが多く、大木となるとそこにちっちゃな小屋でも立てられそうな感じになる。トムソーヤの木みたいな感じだ。一方で、内部に大きな洞(ウロ)ができやすいため、よじ登るとその足元には真っ黒なブラックホールが広がっていることが多い。足元にある小宇宙だ。木登りが得意な人はよじ登ってみれば、それを見下ろすことができるだろう。吸い込まれたら這い上がれそうもない小宇宙だ。

 

 

当然ながら私は見たことがない。登ったら降りてこられない自信があるからだ。しかも登れるかどうかも怪しい。一度ぐらいは、この小宇宙を上から見てみたいものだが、知らないからこそ想像力も掻き立てられるというものだ。あえて知らない世界とでもしておこうと思う。登れないからではない。断じて無い。でもここのシナは、横穴から小宇宙を垣間見ることが出来る。顔を突っ込めば、わたしも小宇宙を感じることができるのだ。

 

老木の洞