蛇ヶ岳の記憶。(2021.4)

 

昨年の秋に会社の駐車場手前の通路ですっ転んで負傷。さらにコロナの影響で、年が明けてからもほとんど歩いていなかった。冬の1シーズンをまるまる棒に振った。

 

3月も終わり4月を迎えた。わたしが部屋に引きこもっていようがいまいが季節は移る。早くも桜が満開。今年の春は駆け足のようだ。カール・ルイス並にちょっぱやだ。久方ぶりに山に入ることにした。目的はそう。ただのダイエットに過ぎない。コロナ自粛を頑張りすぎてお腹の子供が巨大児になってきたのだ。危機感を覚えたのである。ウェイトを落とすためにも、残雪期最後になるであろう蛇ヶ岳に旗坂から歩くことにする。お腹の子のためにも蛇ヶ岳までウサイン・ボルトのように駆けねばならない。

 

しかし、体も重くなり、筋力も落ちていそうなので心配だった。特にわたしの場合、足を攣りやすいので前の晩は念入りに水分を取った。主にはみかんを3個食べて、朝も1つ食べた。ヤクルトも水に薄めて3本飲んだ。しかし、それが物語の始まりだった。

 

どうしたらこんな怪我になるの?と皆に言われた。わたしだってそう思う。

 

今日は3人。旗坂駐車場をあとにして蛇ヶ岳に向けて登り始める。ほどなく旗坂平に着いた。体は重いものの体力はそこまで落ちていないようで安心した。しかし、なにやらお腹の調子がおかしい。お腹というか、まぁつまり便だ。べんい。しかしお腹が張っている様子はなかった。べんいを感じるがお腹が張ってない。このパターン。稀によくある。危険な兆候だ。しかし忘れようと歩いた。一群平の手前、またべんいが。ふっと。キュッと締めていたところが緩んだ瞬間、やばいものが来るあの感覚。ONARAかなって、油断してゆるめちゃうと大惨事になるあれ。皆もよく知るあれ。ありますよね。え、ない? わたしはある。緩んだ瞬間、私は即座にそれを悟った。年の功というやつだ。すぐさまキュッと蓋をする。助かった。ギリ間に合った。しかし事態は逼迫している。一群平へと急いだ。

 

一群平につくと、用足し休憩を願い出るや、藪に入った。そそくさとズボンを下ろし用を足す。木々の向こうには船形山が見えた。これで安心だ。と思っていた時期がわたしにもありました。下痢ピーでもちゃんと出てこない時って稀によくあるじゃない。え、ない? わたしはある。あれだった。不発に終わったままズボンを履いて、船形山の勇姿に背を向け、寂しく戻る。皆には黙っておいた。再び歩き出す。三光の宮の手前でまたべんいが。再び用足しをすると告げ、先にいってもらった。三光の宮の手前にある名物の巨大雪庇を見上げながらズボンを下ろす。今度こそ頼むー!・・・だめだった。またズボンを履き、雪庇を背にし、寂しく合流した。

 

今年は雪は降ったが溶けるのは早かった。しかし上にはまだある。船形山と前船形山の勇姿を眺めながらかいべん。したかった。

 

 

本格的な下痢ピーではないようなので大丈夫だろう。そう自己暗示をかけ、蛇ヶ岳へと向かった。最後の偽ピークの手前でまたべんいが。再び先にいってもらう。近くを見渡し、藪に入ろうとする。しかしもうここは稜線。灌木地帯。おまけに雪も少ないのでなかなかいい藪はない。しかしまあ、ここならいいかと思えるところでズボンを下ろした。その瞬間ちょっと足が滑る。すると、灌木の間につま先から右足が突っ込んだ。体制が崩れ、力が入る。その瞬間、右足ふくらはぎが攣りそうになる。というか攣った。

なんとか攣った痛みを堪え、足を抜こうとするが、なんと、かかとが幹と枝の間に引っかかって抜けない。ハイマツの幹は硬い。手でぐいぐいしたって曲がらない。何度やっても抜けない。しかも変に力を入れてまた足を攣る。

 

状況を振り返ろう。ズボンを脱いだ。フル○ン。木に挟まって足が抜けない。攣っていて必死な形相。そして べんい。人生の窮地は突如訪れるものである。ここは雪道からそんな離れていない。人だって近くを通りかねない。というか先に行ってもらった二人が、キャッキャウフフといいながら登っている声が聞こえるし、つーかここから見える。つまり向こうからも見ようと思えば見える。そんな場所で、フル○ン、べんいをこらえながら必死な形相で、抜けない足と攣った足でのたうち回る。人生詰んだ。本当にありがとうございました。

ふざけている場合じゃない。どうすべきか必死で考えた。まず用をたさなければらないとの結論に至る。足を攣り、足が抜けない状態で、用を足す。眼前に雪を纏った船形山。今度こそ頼むー!

 

眼前に近づいた船形山の勇姿を見ながらのかいべん。

 

眼前には船形山(フル◯ン)

あゝ愛しき船形山。

僕にかいべんを下さい。

 

しかし二度あることは三度ある。

出なかった。

 

 

踏んだり出なかったり抜けなかったりの蛇ヶ岳であった。