バリエーション

 

 

豚ぷー

 

私が山を始めたのは3年とちょっと前。目的の1つは、数年来の懸念事項であった身体だった。20mダッシュ(と言うなのドタドタ駆け足)をすれば、あっという間に息が切れ、地べたに這いつくばるほどの、どんだけだよっていう驚異の体力。そして、2年もの間、お昼に豚キムラーメンを食べ続けたという驚異の食生活。豚キムチやめても一向に良くならない肝数値。まぁ簡潔に書けば、”おデブな豚キムおっさん”、だったということだ。もっと簡潔に言えば、”豚ぷー”

 

 

 

 

水泳、ランニング、室内トレーニングをやってみたこともあったのだが、まったく続かない。だってつまらないんだもの。ところが山登りは苦しいが楽しかった。心の底から湧き上がるような高揚感や満足感。楽しみながら体も鍛えられる。こんな良い遊びはないと思った。

 

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里山

そんな訳で山を始めたのだが、季節は3年前の初冬。11月末だった。登山なるものをまったく知らなくとも、この季節にこんな自分が泉ヶ岳に登るのはやばい、というぐらいは察した。つーわけで、身近な場所にある里山から始めたんである。今思えば、小さい山から始めるというのはイージーな選択ではなかったのであるが。

 

里山に登山道があって、登山者がいるということは何となく知っていたがその程度。なもんで、ヤマクエ、ヤマレコ、ブログ、ネットを調べてから山に赴いた。山を歩いたこともなかった人が一人で山を歩くのだから、せめて登山道があるかどうかと、写真で様子ぐらいは見ておかないと、とてもじゃないが行く気にもなれなかったんである。

 

 


3年前、里山で拾った落ち葉を使って・・・

 

 

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バリエーションのきっかけ

里山歩きで少しずつ体力が付き、ウェイトも落ちていった。実に、その後も含めれば、20週近く連続で、毎週1kg落ちていった。平日に筋トレとか一切していない。毎週末の土日、山を歩いただけだ。それだけで20kg落ちたのだ。山最高。まぁ、”豚ぷー”、だったからに過ぎないのだが。山を初めてひと月とちょい、1月を過ぎたころ。なんだか自由に歩きたくなって、道を外れることしばしばだった。この季節は下草も無く、どこでも歩こうと思えば歩けるからね。

 

もとより、小学生の頃から、周囲に森しか無かった泉市将監の外輪の森をよく探検して楽しんでいたのだ。スズメバチの巣を竹竿繋いで落としてひどい目にあったこともあった。山中のほったて小屋に潜入して食料をいじっていたら、そこに住む原始人みたいな格好の山賊に追いかけらたり(いや、こっちが山賊かもしれないが)。将監12丁目から森に入った高速道路の近くで(今は閑静な住宅街の桂)、熊と対峙したこともあった。いろんなことがあったものだ。ありすぎだろ。全て両親には話していない。山で山賊に追いかけられたとか、小学生がうまく説明できる訳もない。「山で山賊に追いかけらちゃった!!でも山賊は本当は僕で、山賊は本当は山賊でなくて、山賊の僕が山賊みたいな人に追いかけられちゃった!!」 なんて言ったところで、ビンタされるだけである。まあ私は秘密主義なのだ。

 

奥新川駅やら、面白山高原駅やらから入る山域やら、人なんているはずもないのだが、私の母は、下山して家に帰ると聞いてくる。「人来てた?」 「まぁそこそこ(自分含めて4人ぐらい、全部身内だけど)」 私は秘密主義なのだ。ブログで語っても親には語らない。

 

子供の頃のそんな記憶も蘇り、言葉すら知らなかったが、“バリエーション”な山歩きもちょっとずつ楽しみ始めた。今でこそ読図もある程度できるようになったけど、あの頃は無理だった。なのでGPSを頼りに歩いた。まぁ、“バリエーション”、なんていうかっこいいカタカナ名だけど、やってることは、山の中を自由に歩くっていうだけだ。登山道は、公共の道ともいえる。しかし、文明社会の匂いが残る登山道を離れると、途端に様相が変わる。登山道を離れるといろんなものに出会い、いろんなことが起こった。

 

 

 


里山で拾った落ち葉でランプを作る

 

 

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登山道を離れるといろんなことが起こる

ある時は、歩けど、歩けど、イノシシ柵に阻まれて、山から出られなくなって泣きそうになった。くまぷー、ならぬ、いのぷー。ある時は、ガサガサ、ボキッ、という音に後ろを振り向き、びっくらこいて怯えた。でも、自分が動かした倒木と、踏んだ枝だった。ある時は、急斜面を降りられなくなって途方に暮れる。迂回するとさらに困難な場所に誘われる。ある時は、藪と言う名のジャングルを匍匐前進するレンジャーになる。ある時は、・・・仰天したり

 

まぁこんな予期しない事がいろいろ起こる。発見があったり、素朴な自然との出会いがあったり、ちっちゃな宝物が落ちていたり。実に楽しいのだ。ルートと目的が明瞭に定まっている一般山行や、縦走登山も楽しいものではあるけれど、自分で何らかの楽しみや意図を含ませてルートを見出し、計画を立てて歩くバリエーション歩きの楽しさはまったく別物である。登山そのものだって非日常であるが、登山道を離れればさらに非日常性が強くなる。

 

 


山を始める前の、さらに2ヶ月前の秋。泉ヶ岳の芋煮会場の近くにあった “ヒザ川” の一般人用の(?) 沢歩きコースなるものを降りてみたらひどい目にあった。その途中、流木を見つけて、ようやくまともに降りられた。その木、杖にしてしばらく使っていた。すげー重いけど(笑)

 

 

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バリエーションが好きな人は少なくない

バリエーションを何度か一緒に歩いているTさん。” 楽しいよね。目的地に向けて歩くのが目的だと、どうしてもそこに行くことだけが目的になってしまうし。簡単にやれるものではないけれど。” と言っていた。まぁそうなんだよな。楽しいのは楽しいけど、それを始めるには、地図読み、普通より多くなる装備、技術含めてハードルが上がる。まぁでも、欲求を叶えるためなので、技術習得や重い装備も、不思議と苦にならない。

 

 

黒髪のめっちゃ笑顔なお姉さん、に見えた人面雪庇だけど、あらためてみると、おっかない、山姥にしかみえない(笑) “山ガール” は、正当進化すると、“山女子”になって、一部の人は ”山ヤ” になるが、途中、派生進化すると “山んば” なると、誰かが言っていた。まぁ誰かって私なんだが。真実は知らない。しかし、「お花摘み行ってくるね」、と言うのも煩わしくなって、「用たししてくるわ」と言ったり、山小屋でイビキをかいて平然と寝れるようになってきたり、「おせーぞおらー」と言って15kg担ぎながら急斜面を追い抜いたりしだしたら注意が必要である。派生進化の兆候が見える。「山んば雪庇」 を前にして、にっこりポーズを取るこの人は、山ガールなのか、山女子なのか、山ヤなのか、山んばなのか、真実は謎のヴェールに包まれている。

 

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ちなみに訓練でお世話になっているチームのM兄さんも、もっぱらバリエーションだ。バリエーションのきっかけは、一般登山をずいぶんとやって情熱が冷めかけて来た頃、一般登山道を離れてみたら、どでかい熊に出会ったそうだ。一般道を外れると、こんな楽しい、ことがあるんだ!とハマったそうだ。ちょっと、楽しさの理由がアレだけど、まぁいろんな人がいる。そして今では、そんな妙なとこ歩くんですか! 1日で!(20km超えとか平然と歩いている)って思えるぐらいの驚異のバリエーションだ(笑)

 

思い返せば、M兄さんとの最初の頃の接触は、後白髪山の崩壊地という、ヘンテコな場所に行こうとした時の記事だった。ヤマちゃん曰く、「全人類でこんな場所に興味を持つのは、全くまぷーだけだと思っていた!」(原文まま)

 

 

雪庇の巻き込みの穴(というものらしいです)、雪庇の断面を土木工事でスライスにして観察してみたいものだ。(南面白山、冬期バリエーション

 

 

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私のバリエーション

私のそれは、船形山域が中心だ。山域を広げ、遠くの山において、一般的ではないところをバリエーションで歩こうって気持ちは強くない。船形山山頂で偶然出会った写真・森遊びの師匠、写真家であり、森ヤでもある桜井先生との出会いも大きかったかもしれない。升沢の森を自由に歩いてるうちに、道なき道を歩く山の楽しみ方、遊び方がどんどん体に染み付いていった。

 

とはいえ、登山をバリエーションで歩くといったところで、難易度を追求したい訳では無い。本質的には、”豚ぷー” なのだし。「困難さ」は求めても、「難易度」は目指すところではない。似ているようでちょっと違う。まぁ、そのへんは私の感覚であって、良いも悪いも無い。

 

 

 

 


先日、珍客来訪の我が家。平日だというのに、夜更けまで楽しい一時が過ぎていった。3人、まるで気分は大学生。4月に森の時間の写真展がございます。そのうちブログでご案内。

 

 

 

登山技術

バリエーションやるなら、そのレベルに応じた技術が必要だ。危急時の備えも一般登山での備えよりも多く必要だろう。登山というものをしっかり身につけていないと危ない遊び方だとも言える。未組織登山者である私のようなやつには、危ない登山スタイルであったのも事実だった。登山技術なるものをしっかり学んだことが無い私だったが、幸運にもいままさにその機会を頂いてゼロから叩き込まれている。文字通り叩き込まれている(笑)

 

ところで、”バリルート”という用語はあまり好きじゃない。なんかしっくりこないし使いたくない。ちゃんと、”バリエーション(ルート)”、と呼びたい。理由も何となくある。安易に”バリ”ルートなんて気持ちでいると痛い目に会いかねない。多分そんな感覚から来る自身への戒めかなんかだろう。まぁあくまで私の感覚。

 

 

テントに空きがあるというのに、一人優雅にツェルトで深山の冬の夜を鼻歌鳴らして楽しむチームのお頭。脅威であった。

 

訓練を受けてみて思うのは、(私もそうだが)後発の登山者というのは、登山の基本中の基本といったものを、自分が思っている以上に出来ていない(知らない)ということである。高校、大学、社会人で、ワンゲル、山岳部、山岳会で体に叩き込まれた経験のある人なら、ごく普通に常識として身に着けていることをやれない、知らない、分からない。些細なことの積み重ねといったものが多いのだが、こういうのってネットや本じゃ手に入らないんですよね。文字で書けと言われても書けないし、説明もしにくい。書いたとしても文字ではうまく伝えられない。そんな類のものだ。そんな細かいノウハウが集まって ”登山技術” を成しているのだろうと思う。

 

 

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先日、三光の宮から下山の折

迷った訳ではないのだけれど、事情があって予定ルートを少しだけ外れて、とある尾根を少しだけ降りることになった。あとで地図を見てみると何だかその先が妙な地形だと気づく。それなりの沢と細い沢筋があるのだが、合流したその先が平坦地になって沢が消失している。地図をよく見ると、そこにあまり見ることのない矢印(↘)もある。陸上の“おう地”(国土地理院)という凹んだ地形を示すマークだ。

 

 

この消えた沢はどうなっているんだろう。地下に潜っているんだろうか。潜っているその伏流する箇所は見れるんだろうか。そしてその出口は東側の地図にあるこの沢なんだろうか?伏流水が出てくるところはみつかるんだろうか。この“おう地”を雪の季節に見てみたい。どんな凹みなのかなぁ・・・。いや、深雪で平坦かもな?

 

湧き上がる興味や好奇心。それを満たすためにルートを描く、予定する。必要なものを準備する。覚える。地図読みも重い腰を上げてやりだしたし、訓練の機会も頂いたので、ようやく、ちゃんとバリエーションをする身構え、心構えが整いつつある。

 

こんな動機や好奇心にを発端として、ラインを引く、そして、その地に向かう。自分で引いたラインにのって、実際の様子と見比べて驚いたり発見をしたりしながら山を歩く。時によっては行くことは叶わないが、それはそれで楽しい。これがバリエーションの楽しさである。

 

 

 


 

 

 

 

「”おう地” の山中のすり鉢状の陥没地形を見に行こう!もしかして、下に伏流水があって沈み込んだのではないか? 雪のでっかい凹み、そこで大の字になって寝るのだ!そしてこの陥没おう地で鍋をつくって食うのだ!途絶えた沢の場所と湧き出し口を見に行ってみよう!」 なんていう好奇心が湧いてくる。

 

多くの人に取ってはどうでもいい場所だろうけど、遊びなんてそんなもんだ。人気スポットである必要もないし、寂れていたほうが逆に面白い。難易度が高い必要も無い。興味や好奇心が源泉なのだから、そこに到達する最初の人である必要も無い訳で、ひっそりと、しかし、じっくりと遊べる山遊びだ。