Nobel Prize

 

 

笹倉山(早朝)

 


 

 

ノーベル賞で思い出した、大昔に教授が語ったお話。

 

 

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20年前

 

20年前というと25歳。この歳に私は何をしていたかというと・・・。大学の4年間のあと、(当時でいうところの・・・今はどうだか知らない)博士課程の前期2年を終え、さらに後期3年に進んだ年だった。

 

博士課程前期2年というと、俗にいう修士課程というやつで、この2年を終えると修士号が取れる。大学にもよろうが、理工系の学生は半数~8割が修士課程に進む。まぁおかわりの2年間で、理系の大学生というのは、楽しい大学生活を贅沢にも6年間も楽しめるんである。

 

後期3年というのが、いわゆるドクターコース。博士号を取るために研究に没頭する3年間だ。ちなみに大学4年間のあと、さらに5年も続くわけだから、大学入試の浪人や、学生時代の留年もなく、最速で進んだとしても27歳まで大学に居座ることになる。同期はもう社会人となり働いている。その間、まだ5年も大学に通う訳である。

 

 

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ドクターの学生は結構苦しい

 

奨学金や親の援助を受けながらとなるのだが、当然ながら色んな意味で厳しい。生活費に余裕はない。大学生の4年間といえば、大抵の人にとっては、アルバイトしながら、仕事に就く前の最後の学生時代となる。お金に困っていても悲壮感はないものだ。しかし、その後の5年間というのは、友人、知人が、給料をもらいながら仕事をし、結婚したり、子供ができたりしている。それなのに、まだ勉強や研究をしている訳だから結構つらい。というか、なんとなく肩身が狭い。

 

当然、アルバイト等々をしながらとなるが、研究テーマによっては、実験に振り回される日々なので、アルバイトの時間を取るのも楽ではない。博士号を取れずに退学となり、脱落するケースも少なくない。学術論文をいくつか雑誌に投稿し、博士論文を書くまで至っとしても、ぴったり3年で修了出来る割合もそんなには高くない

 

 

 

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私は・・・というと

 

いろいろな幸運に恵まれた。

 

講師のアルバイトやらの収入や、システム開発をしたり、企業から研究生扱いで毎月少しもらえたり、今なんかよりずっと楽な生活を送っていた。思えば、あの頃が一番自由に使える金が多かったのではなかろうか。今は奨学金の返済もまだ続いているし、そんなに楽ではない。奨学金の返済も、うん百万(というか千弱といったほうが近い)にのぼっていたが、あともうわずかで、晴れて自由の身だ(笑)

 

そこまでして9年間通ったというのに、研究の世界を離れてしまったのだから、もったいないことをしてしまったものだ。しかし、今振り返って、やり直したとしても大した違いはないだろうと思う。人なんてそんなものだ。後悔があるとすれば、あのITが爆発したちょうどその時代にいたのだし、子供の頃から好きだったゲーム開発を諦めずにやっていたらな・・・と思うぐらいか。まぁあと、大学時代はアルバイトに明け暮れずに、ワンゲルか、山岳部に入りたかったかも(笑)

 

 

 

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話は戻る

 

思い出話というのは、ドクター1年のとき。指導教官の教授と一緒に、中国へ出張した時のことだ。

 

かつて、かなりの大酒飲みだった教授。その数年前に、深酒による大病を患い、その後は禁酒を余儀なくされていた。・・・のではあるが、奥様の目が届かない国境を越えれば解禁なのである(笑) つまりは、飛行機の機内で、酒解禁の瞬間を迎える。

 

機内で国境を超えたかと見るや、スチュワーデス(今で言うCA)のお姉さまにワインを頼む。

 

機内で出される安酒であるが満面の笑みで飲みだす。

 

そして、饒舌になる。

 

 

 

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教授、ノーベル賞、について語る

 

―― ○○君(私のこと)、大学というのはね、ノーベル賞級の研究が出来る人のためにあるようなものなんだよ。しかし、そんな人は、研究者の中にあっても、滅多にいない。大学はそういう人が入ってくるのを待っている。そして、そんな人が現れた時は、大学は、全力でその人をバックアップする。ノーベル賞を取るような人は若くして教授になっていることが多いが、そういう訳なんだよ。(権力的なことで)いろいろとある大学ではあるが、本当にかけがえの無い才能に対しては、道を引いてあげるんだよ。一方で、そうでない研究者というのはね、実際には99%がそういう研究者なんだが、その人のためにあるようなものだよ。僕だってそうさ。その人のために雑務をこなし、教育をし、周辺の領域の研究をしてくものなんだよ。

 

 

若かりし25歳の私には、ある意味では厳しい現実を見せつけられた面もある。まぁその頃、自分を客観的に見ても、そのレベルの研究の才能が無いことは自覚していたし。そのことを、その現実を、指導教官から諭されたということになろうかと思う。

 

 

ところで、この指導教官の教授。博士号取得後、若くしてアメリカに渡った後に帰国。そして同期では最速で教授になった方だった。退官したあとに自宅にお伺いした際に聞いたところによると、教授になっても、休みの日にはデータ整理と勉強を続けていたそうだ。私なんかとは何から何まで格が違う。そんな教授を持ってしても、ノーベル賞レベルでの研究ができる人というのは別格、というぐらいだ。ノーベル賞が取れるだけの頭脳と研究の才能というのは、やはり、人類の至宝といえるのだろう。

 

 

 

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話はここで終わるのだが。

 

 

ところで、免疫細胞が、がん細胞を攻撃して駆逐する映像見ました?

 


テレビで見たやつのほうがすごかったのですが見つけられず。これも似たような映像。

 

 

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こういうことが、常に体内で起きている訳ですよ。健康な人でも癌細胞っていつも普通にあるんだそうです。いやはや、生命体、そして、進化とはすごいですよね。私はそのことの凄さも驚きましたが、それに加えて、あのような映像を撮れるだけのテクノロジーの発達というものにも驚嘆しました。

 

 

山をする人は、自然や植物、そして、野生動物への敬意をお持ちの方は当然ながら多いとは思うのですが、人間だってその一部です。生命体の中で、もっとも高度に発達したと言ってもいいであろう人という種族。

 

 

すんごいなぁと改めて思いましたとさ。

 

 

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この時期、ノーベル賞受賞の話題を新聞やテレビで見れば、華やかな印象しか持たないものである。しかし、それを支えているのは、国民皆に与えられている教育システム、国家予算、世にはあまり明るみにでてこない極貧生活を送るドクターや、将来の不安を常に抱えているポストドクター達。そして、そこまでの才能には恵まれなかった研究者たち。

 

 

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そんな人たちを礎にして、やっと得られる賞なのです。

 

 

と、そんなお話をちょっとばかりしたかったんである。

 

 

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医学生理学賞、本当におめでとうございます。

 

 

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ところでまた週末に台風。一週前倒しで神室縦走してきたいところだったのですが、ちょっと無理そうだ。来年のための下見に変更して、風の様子を見ながら短距離での一泊ピストンか、ヤマちゃんと船形泊・・・かな。もしくはふて寝(笑) その翌週は朝日連峰にでも行きたいなあ。

 

 

 


神室連峰。ここの主稜線縦走は一人でやろうとするといろいろとメンドイ。役内から杢蔵まで全部行こうとすると、小屋の位置とアプローチ(交通機関)の問題が悩みの種。季節も限られる。残雪期は私には難しい。距離も長く、低山ともいえるので初夏は暑くて無理。盛夏はとんでもない。となると日は短いけれど、秋しかないのだが・・・。今年の秋と来年の初夏に下見して次の秋かな。とりあえず最初は、少し容易な役内~親倉見だろうなあ。しかし、この山域いいよなぁ。山並みもいいけど、人が少ないのが何にも増していい。

 

 

 

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