風が吹けば・・・

 

 

――風が吹けば桶屋が儲かる

 

というよく知られたことわざがある。

 

 

今日の大風で土ほこりが立ちて人の目の中へ入れば、世間にめくらが大ぶん出来る。そこで三味線がよふうれる。そうすると猫の皮がたんといるによって世界中の猫が大分へる。そふなれば鼠があばれ出すによって、おのづから箱の類をかぢりおる。爰(ここ)で箱屋をしたらば大分よかりそふなものじゃと思案は仕だしても、是(これ)も元手がなふては埒(らち)(あか)

(— 無跡散人『世間学者気質』より、慣用句辞典 、Wikipedia)

 

 

風が吹くだけで、次々と起こりうるであろうことを、少し冗談めかして表現した諺だ。いわんとすることの1つとしては、予測は難しい、ということになるだろう。人間社会も含めた自然界の真理の一部を的確に突いている諺だと思っている。

 

 

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現代社会における予測

 

空力学の発達により飛行機がさらに速く飛ぶようになった。F1カーも効率的なボディ形状を決められる。地下ですら数値予測は行われている。油の動きをシミュレーションすることにより、効率的な油採掘の方法が行われている。どこに油井を作ってどのように油を取るかとかね。地熱もそんなことをやる。

 

 

生活に身近なものでは天気予報(予測)。あれも数値計算、数値予測の最たるものだ。地表全体、あるいは、日本の周辺に限定して、空間を格子に分解する。そして、さまざまな方程式を、離散化という手法を使って、膨大な偏微分方程式の塊を数値計算していくことで、何時間、何日後の天気、を予測している。スパコンが大活躍する分野である。

 

 

 

 

 

 

気象庁の全球モデル

 

 

全球モデルは格子間隔は20kmと荒い。しかし、長期的な予測には有効。短期的な予測は5km程度の格子間隔で日本周辺を対象にして計算されている。

 

 

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天気の数値計算結果はGPVで見ることができる

 

気象庁では、数値予報官が出した数値計算結果を基に、地域の特性も併せて、最終的に人の判断も含めたものを予報官が出している。が、普段目にするのは、平地の天気予報だけだ。

 

山を歩く人なら、この後の天気がどうなるかは、重要なポジションを占める。しかし、平地予報ばかりみていても山の天気はあまり当てにならない。そこで、気象庁が計算してくれた結果を基にそれを素のままだしてくれているGPVというサイトはとても便利。

 

 

 

GPVの風速予測

 

 

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とはいっても雲を予測するのは難しい

 

これを見たって、山の雲の予測は実際には難しい。けれど、冬型、ヤマセ、梅雨の頃等々、山の気象と天気に慣れ親しみ、山での天気の経験を併せていくと精度が上がっていくように思う。

 

雲はいつまで経っても難しいが、GPVの風速と気温はかなり精度よく当たる。

 

ただし、所詮は5km四方の格子分割しかしていないので、稜線あたりのとんがり地形の部分は調整が必要だ。風速は結構割増し、気温は少し下げて、見る必要がある。風速なら数割~2倍増し。気温なら標高100mあがると0.5℃~1℃下がるというあれで、(ちょっとといっても3℃前後ぐらい)気温を下げて見る。そうすると、山頂の予測状況が現実に近づいてくる。

 

 

 

 


県境、本山への雲のかかり方、どのタイミングでこうなるか、まで、ズバコーンと狙い通りになり、期待していた景色が見られた山行。もちろん外れることも多々あるけどね。

 

 

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ちなみにテンクラ

 

風または雨が強ければB判定、更に強ければC判定という、割と大雑把な判定基準ではあるが分かりやすく出してくれるテンクラ。ところが、皆が気にする、山が晴れるかどうか、については、A判定を信じても裏切られる事が多い。というより、風と雨が無ければA判定とするようだ。私はほとんど見ていない。また、標高に併せて、単純に風速と気温を加算減算で見積もっているだけのようなので、あの数値自体はあまり当てにしないほうがよさそう。それよりも、山脈を挟んだ東西南北の近隣の平地の天気をテンクラでみると、山が晴れるかどうか分かりやすい。そういう使い方をすると便利なサービス。

 

まぁでも、結局は山での経験がものを言うみたいだけどね。

 

 

 

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小難しいことはおいといて

 

 

再びこれだ。

 

 

――風が吹けば桶屋が儲かる

 

 

真理だなあと思う。

 

 

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どのブナが倒れて、どのブナが育つ?

 

たとえば、100年後の同じ場所の森の中。どのブナが倒れて、どの場所に新しいブナが育つか。こんなのはおそらく1000年後の技術でも予測することは不可能。

 

 

風が吹いた。虫がブナの実をかじる。リスがどんぐりを持ってった。熊がうんこした。ブナの花が咲いた時に雨が降った。落ち葉がここに落ちた。ぶなの実が転がった。残雪がここに残った。70年ぶりに笹の一斉開花が起こった。くまぷーが笹を掻き分けて写真を撮った。

 

 

たったこれだけのことで100年後の局所的な森の様子は変わる。全体を俯瞰した森の様子や景色はずっと変わりはないけれど、局所、局所には、たったこれだけのささいな違いが、変化としてさざ波のように未来に波及する。

 

 

 

1年毎にすら変化がおびただしい氾濫原(大倉山山麓)

 

 

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案外、現代の技術は大した予測なんて出来ないのだ

 

紙を一枚、手で持って落とす。紙は地面に落ちて、裏表どっち向きになるか? なんてのは、意外なことだが現代の技術を持ってしても当てることはできない。この計算はすさまじく(非線形性が強くて)難しい。スパコンを使ってでさえ分からない。二分の一で裏表だろうという、当たり前の結果しか我々には分からない。

 

 

アインシュタインが切り開いた量子力学の世界には、不確定性原理というものがある。ざっくりと別の方向からこの原理を解釈すれば、予測することが不可能、予測できないことこそが真理となる領域もある。といったところだ。

 

 

これを自然界の森の変化、

 

 

――例えば、100年後にはブナがどこに、どのように育つのか

 

 

みたいなものに不確定性原理を持ってきて語るのは無理はあろうが、まぁあながち間違いでもいないだろう。自然界には不確定性原理がある限り、完全なる予測は理論的に出来ない。ようするに先のことは未知なのだ。

 

 

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一寸先は闇。

 

と言えばネガティブだが、

 

一寸先は光。

 

未知という夢に溢れている。

 

 

とでも見方を変えれば、未知も悪くない。

 

 

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桜井先生がよく言っている。

 

 

―― 森には感動が溢れている

 

 

いい言葉だなと思う。

 

 

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先日何気なく見て感激した景色。

これ印刷しよう。

 

 

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