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撮ることの楽しさ。

憧れだった朝日連峰の主稜線。雄大な山並みに圧倒され、風景、山岳の写真もたくさん撮った。しかし一番のお気に入りはこれ。険しい尾根の急斜面にしがみつき、一生懸命そこで生き、幹を育てあげ、枝を広げ、精一杯に陽を浴びているダケカンバ。感動した。

※ダケカンバだと思うが違っていたらごめんなさい。


 

自分の写真を写真展で人様に見ていただくのは今回で2回目。前回は写真というものに前のめりになっていたが、今シーズンは気楽に船形山麓に赴き、遠くの地の山登りも楽しんだ。写真も、気分を楽にして、どういうのを撮っていきたいのかなというのをぼんやり思いつつ撮っていたので楽しくファインダーを覗けた。山を通してお知り合いになった方々、お忙しい中に時間を割いてお越しいただいてくれて感想も頂けた。有意義な写真展となった。先生に言われた。”な、現実でしっかりおつきあいしてる人は、ちゃんと来てくれるだろ?” と。ちなみに先生はネット嫌いだ。ブログなんかは特に毛嫌いしているが、先生の感ずるところはよく分かる。まぁそれはおいといても、確かにあるかもしれない。いくらネットやブログで多少のお付き合いがあろうと、現実にそれが食い込んでくるかというとハードルは少し高い。私自身も山仲間の方々が開催する写真展は行ってみようと思って行ったけれど、これがネットだけのお付き合いだったら行かなかったかもしれないし、足が遠のくだろうことは確かだ。

 

ところで来場頂いた方から、写真展の感想や意見もちらほら頂いた。中には手厳しい意見もあったりする。全体的に暗い、写真が作為的に思える。こんな意見もあった。私はこの意見は結構的を射ていると思う。綺麗で明るい写真は少ないし、風景でなく、雑多な物に目を向けているから暗めの写真も多い。ネイチャー写真ではあるのだけれど、森の時間の写真展はちょっと違うんだと思う。森のなかにある雑多な素材を使って、手芸をしているというか、絵を描いていると言ったらいいのか、なんかそんな感じだ。そのようにして何かを表現して伝えようとする写真の写真展だ。中にはまっとうなネイチャー写真もあるけれど、そうでないものもある。どっちかというと芸の方向性に少し寄っているのだと思う。なので、このような写真スタイルが良いとか悪いとか考えても行き着く先は無い。好きな人は良いと思うし、そうでない人は好きにならない。ただそれだけのことだ。

 

 

 
この2つの写真なんかは、ネイチャーとしての一瞬を上手く捉えていると思うが、先生は一目で候補から外した。食い下がって何故かを聞くと、”こんなものは誰が見たって良い光景だ。写真は良いから、一点物として別に機会があったら出すのはいいが、(森の時間の)写真展には要らない。” だそうだ。

 

 

ところで、写真を撮って残すことの動機は人それぞれだ。山をやる人なんかだと、自分ががんばって歩いてそのあかつきに見た光景。できるだけ忠実にその光景を写真に残したい。こんな動機に背中を押され、重たい一眼レフやミラーレスを手にして山に行く人も多い。あるいは花を綺麗に写真に撮りたいという人もいるかもしれない。動機は皆それぞれ違う。スナップ写真で十分という人もいるし、見れればそれでいい、撮る必要なんかないと思う人もいるだろう。ここで一つ、力を入れて写真を撮ることによって、新たに生まれるかもしれない楽しさをお伝えしたいと思う。それは、今まで目にしていなかった美しいものを見つけるチャンスが増えるのだ。加えて、同じものを見ても、より美しく、より可愛く、より印象的に見れるようになるのだ。私の場合で言えば、足元に雑多にある枯葉や枝、道路の脇から生えるツクシや、散って再び落ちて集まる花びら。こんなところにカワイイと思える景色を見いだせるようになったのは写真を撮るようになったからだ。私はあまり力を入れていないが、風景や光景写真でも同じだ。より美しく見えるポイント、方向、光の当たり方、タイミング、こんなことを考えて景色を見るようになると、その一瞬を見出す機会がぐっと増える、より美しく見える機会も増える。ファインダーを覗き、写真を撮りつつ森を楽しむのは、より贅沢な森の遊び方だ。前にそんなことを先生に言われたが確かにそうだと思った。

 

写真を撮ることで自分が素晴らしいと思えるものをもっと見つけられる。よりそれを美しく見ようとする。良い写真を撮ろうなんて思う必要もないし、撮れなくても良い。プロじゃないんだからそうする必然性も無い。けれど、ファインダーを覗くことでより山や森が楽しめる。これが私の思う写真を撮ることの楽しさだ。

 

 

 

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