kuma 熊 クマ
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なかなか難しい。

雑記です。

なかなか難しい。撮りたい、撮れるようになりたい写真は分かっている。森や山の中の素晴らしい自然を感じてもらえ、そして、それを見て心動くような写真だ。そう、私が見て感動したようなこの写真のように。先日いただいた(買った)先生のポスター写真、うちの母もしきりにすごいと言っていた。山も森も写真もまったくといって興味を持っていなかった母がそう思うんだから、多分、何か訴えかけるものがあるんだろう、そして、心が動いているんだろう。私もそうだった。

 

このような良い写真には2つの要素がいると思う。1つは、写真として写真らしいか。写真的であるか。こちらは機材やテクニカルな面も含む。構図であったり、露出であったり、ボケであったり、被写体であったりする。それらにユニークさがあると尚良い。ぱっと目を引くような構図、露出の工夫、良い被写体を見つけることなど。こっちをAとしておく。そして出来ていないもう1つが、写真に、ストーリーを入れ込む、メッセージを入れる、心を入れることだ。これをBとしておく。これこそが撮る前にイメージをもって撮るということに他ならないのだが簡単ではない。もがきにもがいている。もちろん、見る人によってどの写真に心が動かされるかは違うのだが、しかし上の2点が入っていないと心が動かされることは多分少ない。

 

くどくど先の記事にも書いたが、カメラを好きになって良い機材を揃えても永遠にいい写真は撮れない。Aをがんばって、綺麗な写真を撮っても、良い構図であったとしても、それは綺麗な写真にしかならない。なぜなら描きたいBというものがまずあって、そのためのAであるからだ。割合でいうと多分Aが30点(もないかもしれない)、Bが70点といったところだろうか。Aが25点でもBが10点程度だとくだらない写真にしかならない。今、自分が撮れているのはその程度。そして、Bはあまり機材によらない。もちろんその絵を描くために、カメラやレンズの限界が低ければできないこともあるので、もちろん機材も大事なのではあるが、BのためにAがあることが重要だ。撮りたいBにおいて、大した機材を必要としないような絵の場合、Bだけで驚く程いい写真になることがある。コスパの優れたコンデジでもはっとするような良い写真なんてよく見る。(ヤマレコ知り合いの方の孫の写真とかどこかの梯子の写真とか、はっとする写真であった)。

 

・・・ということをぼんやり気づきながらも誤魔化してマクロ写真に夢中になっていたら、先生にずばっと指摘された。もがいていると撮れないから、とりあえずマクロに走っていたのだ(笑) Aについてはマクロ写真というのはある程度できちゃうんですよね。ちょっと見ない絵、ぼけが美しくなる、そして、何となくユニーク性が出るから写真っぽくなる。Aの点数はあがっていく。水流や沢の三脚使った写真なんかもそうです。綺麗だけど良い写真には決してならない。綺麗であっても最大でも30点、良い写真にはならないのだ。問題はBなのですが、Bはまだよく分かってないのですよね。Aは間違いないんですが。残る70点が何に寄るものかがまだよく分かっていない。これを乗り越えれば良い写真が撮れるようになる。・・・はず。

 

 

 

綺麗なだけの写真

 

 

 

 

ちょっとBがある写真。昼下がりの弱い日差しが流れ込む、冬の前の雑多なこの景色は撮る前になんだかこう撮りたくなって撮ったのだ。あんまりチョイスに入っていなかったのだが何だか気になって残しておいたら、先生の目にひっかかった一枚。

 

 

 

 

これもちょっとBがある写真。どっちも撮る前の思った感覚は似てる。あ、これは素敵だ、こうしよう。とこんな感じだ。だがぼんやりとした感覚でまだよく分からない。こういうのを撮った時に、心のなかに雑念は無い。素直にシャッターを押しただけだ。

 

 

 

 

Bが溢れる先生の写真。

 

 

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