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金剛沢治山の森 – 出勤前の40分

昨晩晩酌して、テレ朝ネット動画の芸人同棲を見ていたらあまりにもつまらなくて寝ていた。早起きしてメールをチェックすると、もう1つの花に書いた雑記にひげの先生からコメントが。何で私がこの先生がいいと思ったか、あらためて感ずるコメントでした。要約すると、「なんだか面白く無いな!もっと感じろ!」と。はい、おっしゃる通りなのです。

 

私は物事の見かたや感じ方や表現の仕方が事情的だ。

見て感じると、その奥に潜むからくりを覗きたくなる。そのからくりを知った上で、そのからくりを捨て去って、というか背景にしてしまって、あらためて良いものだとして見て感じるようになる。星や月、夕日や朝日、虹、そういったものも全てそういうところがある。背後に潜む、森羅万象の摂理を覗き、時には方程式を見て、計算式を見て、その事情を知った上で、後はそのことはあまり気にしない。虹を見るときに、背後に潜む光の屈折の波動方程式を思い出したりしない。船形山を初めて目指したあのときに、暴風雨に煽られながら進んだ稜線。やがて、天候が回復に向かう。厚い雲が割れ、奥にある青い空が垣間見える。遥か前方の山の麓には、割れた雲から光のカーテンが降り注ぎ、照らされる山形市街。そして背後にある七つ森にかかっていた虹に感激した。そんな時に、光の回折現象を考えたりはもちろんしない。しかしその摂理は背景として知っておきたい。その方が居心地がいいのだ。

ところで、微分積分の世界は芸術である。美しい森羅万象の世界がそこにもある。

 

工学の”工”

上の棒は天、下の棒は地である。すなわち、天の理を、地の人の社会に繋ぐための学問、それが工学である。この言葉の説明が好きだ。今では入学式なんかで学長からお決まりのように訓示としてお話されるらしい。私は随分後に、指導教官の先生から聞いた。ちなみに私は当時、入学式はサボって麻雀をしていた(笑)

事情的な感じ方、表現の仕方をする自分の周りに、心情的な感じ方や表現のうまい先生、そして、情緒的で感情的な表現が上手い方が周りにいる。とても楽しい。先生の雑記帳の再開を待ち望んでいる今日このごろ。

 

 


金剛沢治山の森。涼しい、いい季節がやってきた。秋の足音はまだここには微かにしか聞こえない。

 

 


きのこ観察。

 

 


えらい不格好なやつがいた。強毒。

 

 


菌界の花。

 

 



植物界の花。ハグマ?

 

 


ゲコゲコ、とは鳴いてくれなかった。50cmに寄っても、レンズに睨まれて微動だにしないカエル。瞳に映る森。

 

2 件のコメントがあります。

  1. カエルのつぶらな瞳に写る森、素晴らしいです。
    やはりがっちり三脚で固定し撮った写真は違いますね。あと行動力、感性、技術。
    適当に撮る自分のスタイルを変えたくなるショットです。

  2. こんばんは。実はこれは手撮りなのです!三脚は夜とか星以外使わない派でして。カエル君が微動だにしなかったお陰です!数十枚は撮り、泥んこになりましたが(笑)

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