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もう1つの花

キノコ、木の子であるが子ではない。数億年続く木の友である。

木の子。センス溢れるネーミングだ。しかし、キノコのことを知っていくと、木の子ではないと思い当たる。子ではなく、数億年来続く木の友なのである。

一般的には、食べられるか、食べられないか、毒であるかどうか、見た目がどうか。それだけで見られてしまうことの多い生物だ。登山道なんかにある気持ち悪いキノコとなると、時には蹴飛ばされ、踏みつけられていることもある。キノコを採って食す習慣が無ければ、山で見てもあまり気にとめる事も無いと思われる。山のお花はあんなに珍重されるのに。扱いが少し可哀想なところがあるキノコ達。

実際、私もそうだった。食べるの怖いし、グロテスクなものもあるし、毒もあるし、虫もわいているのもある。好んで観察しようとは思わない生き物であった。しかし、栗駒山で何気なく見つけたタマゴダケ、愛らしいキノコだった。幼菌で傘が開く前には、白い卵の殻の上に、ちょこんと苺がのかったような森のショートケーキのように見える可愛さがあった。

 

 

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タマゴダケ。ヨーロッパでは皇帝キノコとも呼ばれ、珍重される高級食材である。どんな料理にも良く合い、幼菌は生でも食することができる珍味である。

 

 

 

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タマゴダケは知らなければ気持ち悪く見えるかもしれないが、よく知ると、この上なく可愛い。愛好者も多く、こんな玩具まで作られるほどだ。

 

 

 

ところでキノコとは何か

このキノコ、植物ではない。もちろん動物でも無い。では何か、菌類である。植物、動物、そして菌類と付け加えてもいい程の大きな生態系の1つなのだ。動物界、植物界、そして菌界と並べてもいいほどの生き物なのである。そんな説明をされたからといって、特に何かを思うことはないだろう。ふーん、ってなもんである。

山だ、自然だ、では、それらが何から成り立ってるのか、何がそれらを作っているのか。そう問われれば、出てきそうなものは、土、草、花、木、森、水、雨、雪、沢、虫、動物たち、風、そして、太陽。そんなとこだろうか。菌類を敢えて出して来る人はそうそういないと思われる。

この菌類、地球上の生態系の歴史を紐解けば、極めて重要な役割を担っていたことを知ることになる。そして、現在においても、樹木、植物が生きるために、時には必須な共生生物でもあり、また、朽ちた植物や樹木、そして死した動物を分解する生き物でもある。これらの菌類のお陰で、生物界、森の循環が支えられている。

太古の地球、海中にのみ生きる植物にとって陸上は地獄だった。

遥か太古、まだ海にしか生物が住めなかった時代。陸上は岩と砂からなる地獄だった。植物ですら地上にあがることはままならなかった。地上にあがるためには、重力に耐える強さ(茎の形成)、乾燥に耐える構造(表皮のワックス形成)などの物理的な部分での進化も必要となる。そして重要なのが、植物にとってのご飯だ。リン、窒素などの無機物が地上で取れるかどうかである。

海には無機物がミネラルとして豊富に溶け込んでおり、ごはんには困らない。摂取も容易だ。既に溶けているのだから。しかし地上にはそれらのミネラルは、摂取可能な状態としては極めて乏しかったと推定されている。また、水中にいれば、重力と戦う必要もなく、水の中であるから乾燥することもない。栄養素もたっぷり水に溶け込んでいる。しかし地上は地獄だ。ご飯も無ければ、重力もある、空気も乾けば干からびる。

しかし、一部の植物は、菌類との共進によって陸に上がった。

これらの植物(海藻)が陸にあがることができたのは、その当時、同じくして進化を始めた菌類との共生ができたからと推定されている。これらの共生型の菌を菌根菌と呼んでいる。

この菌根菌は、リン酸や窒素を吸収し、宿主である植物が吸収できる形に調理してご飯を供給する。植物は菌根菌から得た無機物を光合成により炭素化合物を生み出し、自身の体を作る。菌根菌は、自分では作れない炭素化合物をご飯として、根を少し頂く。こうして一部の植物は、海から陸へあがる活路を見出した。やがて、動物で言えば骨格となるような強さを備え(茎)、重力に負けずに立つことができる植物が遂に地上に登場する。シダ植物だ。乾燥や水分の吸い上げなど様々な問題を克服する器官を進化させていき、やがて被子植物、そして樹木へと進化した。

そして、今なおこの共生関係は続いているのである。木は菌を友として今も共に生きている。

ブナ、マツ、樹木と共生型菌類(菌根菌)

この共生関係は今も続く。樹木の大多数は菌根菌との共生関係にあり、菌根菌の存在が樹木を生かしている一面もある。ブナ、松、その他の樹木も例外ではなく相性のいい菌根菌と共に生きている。近年問題となっている、山枯れ、森林枯れの1つの原因として、菌根菌の死滅もあげられている。環境の変化、気候の変化、植生の破壊、そういったものを原因として山枯れが起きる場合もあるが、菌根菌の異変によっても木は枯れるのだそうだ。また一方で、樹木にとって共生関係にある菌根菌が無ければ樹木は強く育たないのだ。

もう1つの菌類

菌根菌は樹木と共生する共生型菌類とすれば、もう一方は腐生型菌類である。朽木、落ち葉を分解して生きる菌類だ。しいたけ、なめこがこのタイプである。一説によるとこの腐生型菌類が登場する前、地上の動物、植物はその生を終えても分解がうまく進まなかった。普段、私たちは生ものを置いておけば腐ることは当然だと思っている。しかし何故腐るのか。この腐生型菌類が分解する(食べる)ことで腐り、やがて大地と空に戻っていくからなのだ。話を戻すと、分解されないとどうなるのであろう。植物、動物は地上にある大地から栄養を取り、成長し、そして死ぬ。しかし土に帰らない。そのまま残る。然らば、やがて土はやせ細る。このままでは滅びの道である。

ところで、人間はその繁栄の時代を終えた時、数億年後に恐竜や植物のように化石となって発見されるであろうか。おそらく難しい。なぜなら菌類に分解されてしまうからである。一方、恐竜がいた時代、植物は朽ちても、動物は死しても分解がうまく進まないため、植物や動物はやがて石化した。さらにそれが数千年、数億年の緩慢な化学変化により石炭や石油へと変わった。今の人間界の石油エネルギーを基にした繁栄は、このような菌類の登場との微妙なタイミングの差によって得られた僥倖だったのかもしれない。現代の生物の死骸からはもはや石油が作られることはないのだ。

あくまで一説だ。真偽は分からない。

森の菌類

菌類に話を戻そう。共生型菌類、腐生型菌類がいることが分かった。前者は、木々や植物にとって必要な相棒であり友である。後者は生態系の循環において必須な生き物である。朽ちた植物、死んだ動物を土に返すことができなければ生態系の循環は成り立たないのだ。何億年もの淘汰の末に残った生物循環システムは実に素晴らしい傑作である。

ところで菌類って何、キノコって何

キノコは菌類だ。しかし、キノコそれ自身がここまで述べた共生と分解をしているわけではない。菌類は土の中に菌糸としてただ生きているのだ。普段はただの菌なのである。菌として、樹木と共生し、また、菌として分解活動を行って生きている。

そしてある時、菌糸どうしがくっつき、集まり、核を複雑化させ、大きく成長する。やがて胞子を飛ばせるほどに複雑化してキノコになる。仲間の菌糸の種をこうして飛ばすことができるようになる。無数に地中にある菌糸がとある時にキノコになるのだ。そのメカニズムは未だ分からないことが多い。何かの条件によって引き金が引かれる。菌糸が集まり、やがて大きくなり、キノコになろうとするのだ。胞子を飛ばすために。

キノコは菌類の花なのだ

土の中で菌糸として、植物の根とともに地中に生き、あるものは、植物動物の朽木、落ち葉、死骸を分解して生きている。タマゴタケ、マツタケなんかは菌根菌、共生型の菌類だ。樹木とともに根のそばで土の中で生きている。それがとある時に、菌糸が集まり、大きく成長し、菌糸の種となる胞子を飛ばす。それはまさに植物が花を開花させるのと酷似している。胞子を飛ばすために、あるとき花開く。それがキノコだ。

そう思うと、キノコに愛着が湧いてくるではないか

食べることができるかどうか、見た目がどうか、毒キノコなんか見たくもない。そうではなく、生物の循環サイクルを支える大きな役割を果たしている生物として、改めて見てみると違うものに見えてこないだろうか。森を育み、山を維持している生物は、植物と動物だけではない。その一翼を担っているのが菌類なのだ。その菌類が、植物が花を咲かせるように、仲間、子孫を増やすために咲かせる一瞬のキラメキ、それがキノコになる時なのだ。

キノコ素晴らしい。

そんなことに思いを馳せるとキノコにも愛情を持って見ることができるようになる。そして食すのであれば自然の贈り物に感謝して頂こう。必要以上に、取り過ぎてはならない。蹴飛ばしてもいけない。野山に咲くもう1つの花。キノコ。

#参考文献、ウェブ、人

菌根と植物の生活(塚田) URL

陸上植物と菌根菌の共進化(齋藤) URL

雑科学ノート URL

東北大学工学研究科の先生

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