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山と森の保水のしくみ、山のジオロジー

山に行っていればそこかしこで見られる沢、渓流。山や森に雨が降ればその水が次第に低い方に流れ、合流し、沢となり、川となり、そして、平地へと流れ、水を供給してくれます。

この水ですが、山や森の表面を流れる水は雪解け水、あるいは、雨水ですが、水であるうえは山や森にしみこみますよね。その水ってどうなるのでしょう。奥深くまでしみ込んだままになるのでしょうか。そのまま地中に潜っていったままなのでしょうか、いつか出てくるのでしょうか。

 

 

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山でそこかしこで見られる沢水。大滝野営場手前。

 

 

山における水のジオロジー

大学の時、土壌や地下、地熱地帯の水と熱の移動を専門に勉強(研究)していた頃に、丘や山に浸透した雨水のその後を模式した図を見ました。こんなのです。

 

 

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丘や山における雨水の流れの概念図。(引用:Learning Geology

 

 

山における雨水や雪解け水はどう流れるのか。おおまかに2つです。山の地表面をそのまま流れ、沢に合流し、川となり平地へと流れる短期スパンで流れる水。降水地点から、海へと、数日~1ヶ月というレベルで流れつく水です。

もう1つは、地中(山)に浸透して保水される水です。山にも、平地と同じように地下水が形成されます。上図でいうと、青い点線の部分が水面です(ウォーターテーブル)。下が水。水面と行ってもプールみたいに水がちゃぷちゃぷしているわけではありません。地中ですから砂や土や石の中に水が浸されています。供給量、排出量、その浸透の速度の関係で、不思議かもしれませんが、上図のように山の形に沿ったような水面を形成して水が保持されています。

この水はどうなっているのか。やはり流れています。この流れるラインが、黒い破線のフローパス(Flow path)で示されています。こんな風に流れるんですね。不思議ですね。このあたりは、専門用語になりますが、ダルシー流といった考え方で数値計算で示すことも可能です。

 

 

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山に浸透した水の流れの概念図 (引用:Learning Geology

 

 

この水が、果てはどう流れていくのか。どんどん雨水は供給されますので、溜まっているだけでは溢れてしまいますがそうはなりません。ゆっくりと流れ、やがては地表に湧き出ることになります。上図の下がよくそれを示していますが、この湧き出るまでのスパンが凄い長いです。

地中にしみこみ、地表に近いところに潜り、また出てくる水もあります(Years、という青いライン)。このYearsは数年で地表に湧きでてくる水ということです。山の沢水がなかなか枯れないのはこういった水が長い時間をかけて地中から湧き出ることで供給されている水もあるからです。季節を問わず湧き出ることになりますから、この経路にある沢ですと雨が降らなくとも一定量は水が供給されます。

一方、更に下まで潜る水もあります。こういった水は、百年単位(Centuries)、そして千年単位(Millennia)の膨大な月日の経過の後に地表に現れます。千年、地球の濾過を受けた水です。すごいですね!飲みたい!

 

山の保水機能

以上のことから分かるように、山や森の保水機能は、その期間の観点からみると2つあります。1つは短期スパンの保持、もう1つは長期スパンの保持となります。短期スパン(数日~1ヶ月)の水の保持機能については、我々の水の利用に直結します。降った雨水が、沢となり川となり水が供給される訳ですが、これには木々が重要な役割を果たします。

木々が無い場合、降水した水は、山肌に保持されること無く一気に流れ落ち、沢となり濁流となり、川に流れ込みます。豪雨のあと、山に水が保持されず川に流れ込めば、一気に大量の水が流れますから洪水が起きます。これを防いでいるのが木々、草です。地表面では木や草があることで水の流れが押しとどめられ、小さい量とはいえ、そこに水が保持されます。草の表面に付く水、木々の葉につく水、木々の根本に貯まる水、木々があることで起伏にとんだ地表に保持される水、そして、木々や草が根から常時、水を吸い続けてその中に保持される水も馬鹿になりません。などなど。1つ1つは小さくとも膨大にあります。そしてそれらがバッファーとなります。つまりは木々や森は膨大な数となる小さなダムをそこに形成しているのです。

長期スパンのほうについては木々や森はそこまで大きな役割を果たしません。ハゲ山ですらその機能はあります。ただこれらの水はそこまで多くの水量、そして、短期的な降水を保持できるわけではありませんから、人から見た治水という機能としてはそこまで大きな役割とはなりません。

 

治水ダムの効能

最近、関東でダム貯水率が低下し、渇水の危機が報道されていますが、このダムの貯水率が目立ちますから、一見すると、我々の飲んでる全ての水はこのダムのものであり、そこから全ての飲料水が供給されているように錯覚してしまいがちですが、ちょっとしたトリックがあります。

 

 

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後白髪山、山頂から見た大倉ダム (2016.4.9)

 

 

たとえば、宮城で言うと名取川の水量は、河口域で16.3m3/秒です。どのぐらいなのか想像しにくいですが、16トンの水が毎秒流れてきています。学校の25mプールが大体500トンの水です。つまり、30秒あればプールが満たされるぐらいの水量です。しかもこの水量は、工業用水、飲用水として人々が使った後に最終的にまだあまる水量です。

一方、名取川水系の大倉ダムの貯水量ってどのぐらいなのでしょうか。2,800万m3です。多いかな!?どうでしょうか。仮に川が完全に渇水し、ダムに水が満杯だったとき、通常の名取川の水量をどのぐらいの期間、ダムだけで維持できるのでしょうか。

28,000,000 [m3] / 16.3 [m3/秒] = 1,700,000 秒 = 20日

多いのかな!? 少ないのかな!?

しかし、この数字、工業用水、農業、そして、飲用水で使われた後の名取川の水量を使っているのでそれよりも更に短くなるでしょう。10日前後かと思います。この10日に再び雨が降ればまた貯まる。そう思えば効果はあるぐらいの数字なのかな、渇水対策としても保険になるのかな。という風には思えますね。

しかしこのダム、このように見ていくと効果はありそうなのですが、結局はそれよりもスケールの大きい、沢の水、川の水が常に滔々と流れているところにダムを置くことが前提です。そのもとで、一定のバッファーとしての役割を果たしているという部分の方が大きいかもしれません。下流の水はダムがその水量を支配してるわけでもなく、やはり自然に流れてきた水の集まり、水の流れが決定づけています。

そう考えると治水ダムは本当に必要なのだろうか、局地的な雨、そして川の氾濫を防ぐ意味合いでは、ある程度の効果があるのは分かりますが、大豪雨の時に山の水全てを保水できるぐらいの貯水力はもちろんありません。山や森を守り、天然のダムを維持した方が実はよいのではないだろうか。そんなこともふと思ったりしますが、専門ではないのでここでやめておきたいと思います。

 

ダム、文明、学問、哲学

資本主義、技術の革新、産業の発達、そして、医療、商業、農業、工業を含め、社会サービスやインフラの充実というのは、人から見る ”自然” というものに対して間違いなくダメージを与えます。それを食い尽くして人の暮らしを維持しているという側面もあるかもしれません。しかし、膨大な個体数となった人という生命体、その社会を維持するためには、文明の力はもはや無くてはならないのも現実です。これらを真剣に考えだすと、哲学の領域に足を踏み入れることになります。あらゆる考え方、学問は、突き詰めると最後は哲学に行き着くものだと思っています。

 

欧米における博士号の英語訳は、”philosophy of doctor”、学位記の表記では、”Doctor of Philosophy”となります。PhDとも呼ばれます。工学であろうと、医学であろうと、理学であろうと、文学であろうと、経済学であろうと、博士号にPhilosophyを使うのです。Philosophyの馴染みのある訳としては”哲学”です。ここでは”学問”という意味として用いられますが、この2つをともに同じ単語で意味するということが興味深い。欧米における学問というものに対する捉え方、その根底にある考えや思い。そういったものが垣間見えます。人、万物、暮らし、あるいは、世の中に思いを馳せ、考えることが、学問の始まりであり、目指すものであり、そして、終わりである。学問とは哲学である。

 

自然と文明の狭間。ダムを見るのが好きです。

ところでこういった小難しい話はおいといて、私は、なぜかダムを見るのが好きです。地図にダムがあると旅行先でも遂、見に行ってしまう。文明と自然の狭間にあるのがダムともいえます。自然の水がダムでせき止められ、ある意味では人口の水として、その後、流される。自然がそこに貯められ、そして、人によって流される。自然と文明の狭間。そこに何かを感じてしまうのかもしれません。

 

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早池峰ダム (2016/6)

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