このブログについて

このブログは、わたし、こと、くまぷーが、お山や森での遊びの記録をブログとして綴ったものです。寒い季節になると、”防寒上の実用的観点から”、被り物のくまぷーを被っています。あくまで実用的観点からの着用ですことを強調しておきます(笑)

 

 

登山

朝日連峰(2017/9)
朝日連峰(2017/9)

登山をする場合は、タイミングを見計って、良い時期、良い景色、良い天気にこだわり、楽しく登山することが好きです。週末が近づいてくると気象庁予報やGPVとにらめっこ。東北晴れでもない限りは、早くて二日前、通常は前日に予定が決まることが多いです。週末は全て山歩きに捧げるような人としか、なかなか山仲間にはなれそうもありません。活動拠点は宮城県を中心としています。日本百名山や遠くの名峰にはとんと興味がありません。遠征登山の場合は、達成感や眺望の観点からもちろん山頂を予定コースに入れますが、いわゆるピークハントにもそこまでこだわりはありません。それよりも行ったことのある山を時期を変えていったり、行ったことのないコースを歩いてみたりすることのほうが楽しく感じます。遠くの山にあまり興味のわかない理由は主に天気にもありますが、費用的な問題ももちろんあります(笑) 初めていく山については特に山容や眺望を望みたい願望が強いようで、それゆえに近場を選ぶのかもしれません。宮城隣県の山々を経験したあとは遠くの山に興味を持つかもしれませんが今のところは薄いです。

 

 

船形山と森歩き

船形山山頂避難小屋
船形山山頂避難小屋

活動拠点でもあり、自宅からも近い船形山になみなみならぬ愛着があります。登山歴は実は短く、2015年の冬からです。残雪があるうちに是が非でも船形山に登りたいという思いが募り、山を始めて6ヶ月程度だったのですが、テントを担いでの、後白髪コースからの船形山登山を敢行しました。自分が住む街に水を供給している山だという観点から、船形山域には他の山とは違う思い入れを抱いています。水を供給してきたということは、その街を作ってきた1000年の歴史において、全ての根源となっているからです。船形山の登山もしますが、それ以上に山麓の森歩きをよくします。山菜を取ったり、キノコを取ったり、写真を撮ったり。登山道が無い森の中も、藪を掻き分けてあっちゃこっちゃへと遊んでいます。船形山麓に行く場合は天気をあまり気にしません。雨だろうが風だろうがなんでもござれ。ただし酷暑の時期と虫がひどい場合はあまり近寄りません。山頂からの朝陽を見るために未明のナイトハイクなんかもよくやります。

 

 

スノーシーズン

船形山(2017/3)
未明からラッセルした船形山(2017/3)

若い頃、スキーは飽きるほどやった口ですが、バックカントリースキーには手を出していません。雪の季節は大好きです。山のオンシーズンと聞かれれば、”冬”と声を大にして言いたいぐらい、雪と寒さは気になりません。東北の山においては、積雪期は熊のリスクが大きく減るというのも見逃せません。心理的な面で気楽です。一方、寒さと雪崩の危険性はもちろん増します。しかし、暑さや虫の気分の悪さに比べれば冬のなんと快適なことか。強風と寒さに耐えながら苦しいラッセルをしていると、いいようのない快感を感じます。へ、変態・・・!

葉が全て落ちて雪化粧した山の中にいると、静かに、寡黙に、冬をたたえている山を感じます。

 

 

 

 

写真

写真倶楽部という写真グループで、桜井先生の指導の元、写真を習っています。ちょっと変わったというか、自然の中で生きているような先生で、写真についても街によくあるような、いわゆる写真教室ではありません。自然を相手に自分の自然観を詰め込むような写真の撮り方を指導されています。場所や季節や光景を狙った風光明媚な写真がターゲットではないため、森の中、自然の中にあるものを被写体に写真作りをしています。いわゆる風景写真ではないので、綺麗な光景でも綺麗な写真でもありません。絵を習っているのと似ています。頭がサイエンス脳な私にはなかなか難しいのですがそれ故に楽しくもあります。

 

 

 

山菜

キノコを中心に採れるものを増やしつつあります。食への追求や、いやしさというよりは、食料を得るプロセスを直接踏みながらそれを頂くということに幸せを感じるようです。それに気付いたのは東日本大震災の時です。糖尿病の父がいたため、タンパク質となる肉魚、そして野菜がどうしても必要で、街をチャリでかけずりまわって食料を集め、家に持ち帰って母に渡したりしていた時でした。食料を探して手に入れてそれを家に持ち帰る。そしてそれを食す。この喜びはこんなにもいいものなのかと初めて体験したのがあの震災のときでした。菜っ葉の山菜や、スイーティな果実も採りますが、目の色を変えて採るのはなぜかキノコです。理由はよく分かりません。

 

 

 

自然観

人や社会に相対するものとして自然を捉えます。立場としても、まず自分が属するのは人間社会であることを前提に自然を見ます。登山道などでもすこし笹がでていたりすると、歩きやすいように笹や枝を整理したり取り除いたり、ガレ場であぶなそうな石をわざと落としておいたり、そういう気配りや行動をすることはありますが、それは、山に入る”人”のためにやっています。人と相対しないものとして山や自然を捉えた上で、その価値に重きを置き、山のため、動物のため、自然のため、そういった考え方は自分の中には恐らくありません。自然は残って欲しいと思いますが、それは自然のためではなく、人にとっての自然のため、ということになります。人や社会と相対しないものとして、自然そのものに対して価値を付けたりすることは、どちらかというとそれは人の奢りではないかと思っています。ただ唯一、これをしていいと思えるのは、山や森や自然の中で生活し、自然の恵みを直接に生活の糧にして暮らしている人、それを生業にしている人です。都会生活をしながら自然を楽しんでいる私のようなものとはやはり覚悟が違います。自然は好きですが、あくまで人や社会、そして自然は同じ輪の中に居るものとしてみています。私がしている自然の遊び方というのはやはりレジャーにすぎません。自然観というのはさまざまなものがあり、その人の中の自然という言葉の定義から違うものでもあります。何が正しいということはなかなか言えない範疇のものです。ただ、この美しく、素敵な自然を、厳しくも優しい自然を、できれば知ってほしいという思いもあり、写真を撮り、山菜を、山の恵をいただき、登山を楽しみ、そしてブログをやっています。

 

 

 

写真の利用について

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